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ギー藤田による、ギー藤田とは‥。


1950年新潟越後平野の片田舎に、稲作農業を営む無口な父藤吉と、鼻の穴が左右いちじるしく不揃いな母テルの6番目、末っ子として生まれる。

祖母と両親、3人の兄、2人の姉の寵愛を受けて育つも、3才で小児麻痺、5才で脱腸を患い、酷い吃音でガキ仲間から「ドモ!ドモ!」と呼ばれては、おねしょ布団で泣きながら眠る暗い幼少期を過ごした。学童になるや、三日に一度はよその家に勝手に上がり込んで晩ご飯を食べさせてもらう、近所迷惑な小学生であった。

大人になってからのタカり癖は、この頃についたものと思われる。ただしヨロヨロと歩くのは、小児麻痺の後遺症ではなく、加齢のためでもなく、わが人生の伴侶の痛風で、1年のうち半分は足がぱんぱんに腫れているからなのであ〜る。


高校時代に視て今も忘れられない映画は、アントニオーニの「赤い砂漠」。もう一本はブニュエルの「昼顔」。ブニュエルには、もう相当のめり込む。都の西北に入学してからは、ケネス・アンガーやスタン・ブラッケージなどの実験映画に浸かった。

大学時代に最初につくった映画「未完成トリコモナス」は、今は亡き森田芳光に誘われて聖心女子大などで招待上映される。大学卒業後は就職せず、在学中に起業した商売を40歳になるまで転がした。が、仕事という言葉には昔も今も欺瞞的嫌悪感をもっている。それがどうしてなのかは、わからない。


ヨロヨロと歩き続けて72年。

人恋しい黄昏時となってもなお、「自分がいったいどういう人間なのか」がよく分からないことに腹を立て、埴谷雄高の自同律の不快を恣意的に持ち出しては、

自分が自分であることにガマン出来ないんだよ⁉️

などとワケのわからないことを呟きながら、まとまりのない日々を生きている。

そんな私にとっては、
わだかまりだけが人生~🎵

わだかまり、大事。このわだかまりがなくなったら、「誰も視てくれないような映画づくり」は即刻、辞めるでしょう。